主であるべきものが従となり、従であるべきものが主となってしまう悲劇
東北関東大震災の犠牲となった方々に対して哀悼の意を表するとともに、避難所に身を寄せている皆様にお見舞い申し上げます。これからの復興に当たって、私も可能な限りお力添えします。日本の国が一つとなって頑張りましょう。少ない額になってしまいますが、毎月の収入から9月まで毎月募金したいと思ってます。また、東北地方からの物資を選んで購入したいとも思っています。
福島にある原子力発電所が被災して、緊急停止後の冷却を行う際の電源の送電設備や予備発電設備が破壊された。現在、懸命に復旧作業が進められているが、不安がよぎる。
昼夜を問わず放水活動を行っているが、これは根本的解決なのだろうか。
発電所においては、そもそも冷却用電源が確保できずに、原子炉及び保管用プールの温度が上昇していることが大きな問題であると思う。放水活動では温度の上昇を防ぐことはできても、冷却用電源の確保はできない。
つまり、放水活動は応急的措置であっても、抜本的解決策ではない!と考える。
現在、東京電力の技術者によって電源復活のための送電経路の復旧が進められている。ようやく2号炉の電源が回復しつつあるが、最も重大であり、深刻な状況である3号炉、4号炉についてはよい知らせを聞いていない。
ニュースで聞くところ、放水の合間を縫って工事が進められているという。。。
従であるべき応急措置が主となり、
主であるべき抜本的解決が従となっている。。。
放水の重要性は理解しており、現場で活動した東京消防庁の隊員の方々には言葉で表すことができないぐらい感謝している。しかし、保管プールの容量以上の海水を投入してもよいのだろうか。ひょっとして建物全体を水没させて、ポンプや電気系統類の諸設備を破損させたりしないのだろうか。「過ぎたるは及ばざるごとし」という言葉が脳裏をよぎる。。。
翻って、大震災後の対応を俯瞰するとき、原子力発電所の復旧は主たるものなのか疑問に思う。原子炉が爆発すれば、北は北海道、西は長野県までの国土の半分を覆う大惨事になることは理解するが、全ての注意を発電所に注ぐことは合理的なのだろうか。
一人でも多く助け出し、生き残った方々の生命を保護することが主たるべきであるならば、発電所の対応は、生存者の捜索や救援物資の手配と同様に従であるべきではないのだろうか。
また、国家的と言える、今回の大震災に於いて、国民を守るために主として采配を振るうべきは地方自治体なのだろうか。私が思うに、被災した東日本を、無傷の西日本が援助するという意味において、国こそが主たるべきであって、地方自治体が従となるのではないのだろうか。国と地方自治体が、また、県庁と市町村が、自衛隊の機動力・組織力を橋渡しとして、緊密に連携するとしても、国が率先して全体の大きな流れの指揮を執るべきであろうと思う。
全てが全て、その場しのぎのようで、不安を隠せない。
もし仮に、震災後の一連の施策が、支持率低下の防止と政権の延命という、その場しのぎであるならば、それこそ我が国にとっての最大の災害であり、もはや人災と言わざるを得ない。
ああ、そうそう。
節電担当大臣には、デンコちゃんを推薦します。
また、本件が終わった暁には、蓮 舫女史に、じっくりスーパー堤防についてお考えを、また、ミスター年金氏には、民間に払い下げてしまった年金基金のグリーンピアがあれば、どんなことに使う事ができたのかお聞きしたいものです。
追記
信じられない記事を見つけたので、追記しておく。
石原都知事、消防隊員への暴言に激怒
http://www.sanspo.com/shakai/news/110322/sha1103220507015-n2.htm
なんだ、この記事は。。。。。
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