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建国記念の日(紀元節)にあたって

 征服と支配、平定と統治。遠い昔、二千年もの昔に皇祖始め我らの祖先がどのような国の姿を描きつつ国づくりを始めたのだろうか。現在そして未来において我が国はどのような存在であるべきなのだろうか。そもそも我が国が極東のちっぽけな島国に建国されたのはどのような意義があるのだろうか。戦後生まれの私には、今の我が国は建国の目的を忘れて進むべき道を見失っているように見える。
 
 
 征服と支配。平定と統治。
 
 
 皇祖皇宗、そして我らが祖先はどちらを選択して国づくりを行なったのだろうか。戦後人は言う、日本書紀も古事記も作り話だと。しかし、もし仮に作り話だとしても、そこには皇祖皇宗、そして我らが祖先の息吹が込められているはずであって、蔑ろにすべてを否定してよい訳が無い。
 
 
 
 書紀は語る、神武天皇を。兵を進めて東の地を平定するに至るを。帰順の意を示した者を重用し、力に訴えた者を紂するを。
 
 平定の軍であったのだろうか。征服の軍であったのだろうか。
 
 
 
 また、書紀は語る、仁徳天皇を。都を定めて数代。その御代に民が炊ぐ煙が立たぬ事を見、役税を課することを止める。宮は朽ち、雨露に濡るるにおいても、窮する民と共に在り。三年の後、炊ぐ煙の盛んなるを見、「我富めり」と語るに、后、「宮朽ち、雨露に濡るるに何故に」と。これを返して「人君は民に由って立つ。民が窮するは我が身の窮。民の富めるを以て我富めり」と。
 
 支配を目指していたのだろうか。統治を目指していたのであろうか。
 
 
 
 
 
 我が国の国柄の誇りは、君と民に志を共にして力を合わせて治めてゆく君民統治の仕組みであり、統治が支配に変質しないように権威と権力を分離させた智慧にあると思う。しかし、大東亜戦争の敗戦によって、民こそが主人だとする西洋の仕組みが我が国にやってきて六十年。国内は大いに乱れ、目標を失い漂流しているように感じる。
 
 
 
 ローマ帝国の崩壊の後、西洋は征服と支配を繰り返し、西はアメリカ大陸の端に到り、東は極東に到った。西洋がインドと中国で行なった所業を知り、太平の世に暮らしていた我らが先人は、西洋と伍して独立を守るために、和魂を胸に西洋の才を求めて富国強兵を努めた。
 
 
 明治人は和魂を胸に列強に向かっていったが、昭和人はどうであっただろうか。台湾、朝鮮半島、ミクロネシアの島々、そして満州の地に、学校を初めとする各種の建造物を建てて社会整備を行ないつつも、西洋の”支配”に毒されていなかっただろうか。
 
 
 また、国民が二分されつつある現状を憂うるに、西洋の”支配”という考えが我が国を覆い尽くし、国を滅ぼしつつあるような気がしてならない。アジアのみならず、アフリカ大陸、南北アメリカ大陸の先住民に対して行った所業を知る事は、西洋を礼賛するあまりに国を滅ぼす愚を犯さないために必要なのではないのか。
 
 
 
 我が国が目指すは支配に非ず。統治なり。
 民を統べて、共に治める世を出現させることなり。
 
 
 
 我が国の若人よ。これを読みて心に思う者たちよ。
 目覚めよ。
 
 敗戦によって打ち砕かれた我が国の至宝を想い起こせ。
 神話より始まる我が国の歴史を紐解いて新たな息吹を吹き込め。
 
 漂流している暇は無い。
 大東亜戦争の敗戦を越えて、我が国の建国の理想を実現するのだ。
 ”支配”で主であった過去の千年と決別し、民が共に力を合わせる”統治”を世に示すのだ。
 これが未来の千年の目標であって、古の伝統を守ってきた我が国が存在する由縁なのだ。
 
 目覚めよ。

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