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終戦 靖国 合祀 富田メモ

 富田メモなる出自不明な記事も出て、靖国神社はいつになく喧しい終戦記念日を迎えそうだ。私自身は富田メモを大変疑わしいものと考えている。合祀云々の問題も取るに足りない問題と考える。
 
 
 
== 富田メモ ===============================

 理由は、本来のメモに糊付けしてある頁であること、また、その頁だけ他の頁と著しく青いインクの色が鮮やかであることなどが挙げられる。しかし、テレビで疑わしい点を報道していないし、日経新聞を沈黙しているので、富田メモを疑いなく信じている人も多いことだろう。信じている方は、まずこちらをご覧あれ。

依存症の独り言
 いわゆる「富田メモ」について
 (http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2006/07/post_d393.html)

Let's Blow! 毒吐き@てっく
 [昭和天皇のお言葉?]日経富田メモ タレこみネタ
 (http://tech.heteml.jp/2006/07/post_640.html)

Here There and Everywhere
 (画像)富田メモ@昭和天皇発言問題 捏造ですか?>日経さん
 (http://oiradesu.blog7.fc2.com/blog-entry-1359.html)


 終戦記念日と靖国神社とくれば、俗にいうA級戦犯、正確にはA区分戦犯の合祀が問題となる。昨日、テレビでの東條さんの指摘を興味深く聞いた。昭和天皇が御親拝を中止されたのは75年であり、合祀は78年に行なわれたという。テレビ朝日の番組アナウンサーはもちろん、コメンテーターの誰独りとして知らなかった模様だった。そういう私も不勉強の極みだが、大衆に影響を及ぼす立場にいる人間が知らないということに改めて驚いた。


 とすると、富田メモの「だから私あれ以来参拝していない」という記述は矛盾に満ちているし、終戦当時、極東裁判開催の指示がGHQから出た際に”我が国に戦犯というものとはいない。どうしてもというなら戦勝国である連合国が勝手に行えばよい”という言葉を残した昭和天皇ご自身が、「私は或る時に、A級が」などと呼び捨てにすることにも違和感が残る。

 今回の報道で1つだけに気にかかることがある。最初の報道が、なぜ朝日新聞でなくて日経新聞なのか。なぜ、韓国、中国寄りの朝日新聞でなくて米国寄りの日経新聞なのか。。。。。誰か教えてください。
 
 
 
 
== 合祀の問題 ===============================

 突き詰めて考えると、戦犯とは何かという点と、たった数十人が日本の運命を変えた大東亜戦役をもたらしたのかという点に行き着くと思う。

 
 敗戦国側にだけ戦犯は存在するのだろうか。
 事後法によって行われた裁判に正当性はあるだろうか。

 
 そう考えると、極東軍事裁判となるものが如何にでっち上げの茶番劇であったかということがわかる。この茶番劇は「裁判」とは言っているが、その法的根拠無く、GHQが発した裁判所条項のみを根拠としている。(参考 「パル判決書」東京裁判研究会発行 上巻 ISBN 4-06-158623-8 下巻 ISBN 4-06-158624-6、「パール判事の日本無罪論」田中正明著 ISBN 4-09-402506-5、「東京裁判 日本の弁明」小堀桂一郎編 ISBN 4-06-159189-4)また、戦勝国側の行った行為、原爆の投下と綿密に計画された焼夷弾による東京大空襲と名付けられたホロコーストについては一切不問としている。更に言えば、収監された軍人は陸軍のみで海軍関係者がいないことも奇異に映る。この点については、「米内光政と山本五十六は愚将だった」三村文男著(ISBN 4-901331-06-X)が参考になる。


 そのような”裁判”という名の茶番劇に出廷した戦犯とは何?


 話を変えて、我が国がいつ頃からアメリカと対峙するようになったのかを考えると、興味深いことに日露戦争後のポーツマス条約にまで遡ることになると思う。条約において満州の権益を日本は手にしたが、満州の開発を日本一国で行うことに急遽方針転換し、戦時国債について多大な助けを受けたクーンロープ商会のシフと鉄道王ハリマンに対する約束を反古にしたため、米国の金融界を日本は敵に回すことになった。詳細は「日露戦争に投資した男」田畑則重著(ISBN4-10-610143-2)をどうぞ。


 そして、国際連盟に提出した人種差別撤廃条項の否決(参考 http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/pm_of_lu.html)により、「国力を蓄えて、欧米に引けを取らない文明化を行えば受け入れてもらえる」と信じていた我が国は大きく失望し、欧米に対する対決姿勢を強めることとなった。


 最終的は、リットン調査団による満州事変に関する報告書への拒否を通して米英との対立が先鋭化していったと思う。当時、アジアでは日本とタイ以外はすべて欧米の植民地となっており、他国を侵略し植民地化することは欧米が率先して行っていた。そのような中で「欧米を同じことを行っているのに、なぜ我が国だけ植民地化の行為を非難されるのか」という疑念を持ったとしても当然のこととを思う。


 そういう大きな時間の流れの中で我が国は戦争という道を辿ることとなったにもかかわらず、大東亜戦役を招いた国家指導者として数十人が訴追されなければならないのか?


 以上を持ってすれば、俗にいう戦犯が合祀されているから参拝を取りやめろとか、分祀しろとかいう議論はくだらないものに思える。そして、戦犯云々を言っている間は、国民一人一人が負うべき過去の負債、つまり日本国の精神的復興という負債に対して、頬冠りをして被害者を装って、すべてを戦犯に擦り付けているようにも感じる。本当に必要なのは、明治、大正、昭和の3つの時代を直視し、我が国が二度と戦火を交えること無しに、東洋において名誉ある地位を獲得するかにあると思う。

 私は、国対国の国際間において極東軍事裁判の判決に疑義を挟まない。理由は、我が国がサンフランシスコ講和条約にて”accept”したから。また、西洋が東洋に対して行った非人道的な行為を忘れたくないから。
 
 
 
 
 今年で61回めの終戦の日を迎える。

 国益のためという偽りの中で再び戦火を交えるか、戦はこれで止めると誓った崇高な理想の実現のために更なる努力を行うか、我が国は大きな岐路に差し掛かる気がする。幕末の植民地化の危機から今日に至る我が国の歴史に思いを馳せながら、明日は静々と靖国神社に参拝に出かけようかと思う訳なのだが。。。


追伸
“なぜ朝日新聞でなくて日経新聞なのか”という疑問について、てっくさんのブログに伏線が載っておりました。てっくさん、ありがとうございます。

Let's Blow! 毒吐き@てっく
 [靖国]報道されなかった米議会決議[いわゆる戦犯]
 (http://tech.heteml.jp/2006/08/post_682.html)
 
 
補足
 文末尾の
>国益のためという偽りの中で再び戦火を交える
とは、将来起きる戦火を指しており、大東亜戦役を国益のためという偽りの中の戦火とするものではありません。念のため。

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