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日の丸こそは天下一

 戦後、日の丸が毛嫌いされて久しい。現代の日本人にとって祝祭日に国旗を掲揚することは、大東亜戦役の太平洋戦争における敗戦の記憶を思い起こすこととなり、毛嫌いする人が大変多い。しかし、最近、私は日の丸こそは天下一と感じるようになった。

 「わたくしの国と歌」(ISBN4−88320−180−5)によれば、正式に国旗として日の丸が制定されたのは明治であり、その目的は欧米に対して我が国が決して引けを取らないことを明示することにあったと記されている。また、明治時代の制定以前では、江戸の安政元年(1854年)に外国船と日本船のと識別を目的として、薩摩藩主島津公の発議により日本人の船に日の丸を掲げるように幕府からのご下命があったそうだ。それ以前においては、遠く朝廷での政において用いられたことを始まりとして、旗のもつその勢いが各層の人々に受け入れられ浸透していったとも記されている。

 そうしてみると、日の丸という旗は、諸外国からの圧力を交わすため、また内政を切り盛りするというために、軍国化した時にポッと決まった事でないことが判る。お叱りを受けるかもしれないが、敢えて鎌倉幕府の頃に日の丸が使われ始まったとすると、900年程の歴史の中で、節目節目に掲げられ、また江戸時代においては船の安全を確保するために掲げられ、単に戦いを意味するものでは無かった事が判る。その歴史に対して、たかだか8年間の起きた、日本の歴史にしてみればくしゃみの一瞬である大東亜戦役(盧溝橋の事変を暫定的に始まりとし、終戦までの間)に日の丸がよく使われたからと言って、この旗を捨てることは賢い振舞いだろうか。この旗には、我らが祖先の900年以上の日本人の愛着が染み付いている旗なのである。


 一方、自分にとって「天皇」がどのような存在であるかと考えた末、私は「日の丸」という旗の、その勢いの源泉を知った。

 日の丸の「白」は善、清を意味すると私は思う。また、その「赤」は、古来日本人が大切にしてきた「誠実」を意味すると思う。つまり、清い心で善を目指し、誠実を以て隣人に接するという我らが祖先が目指したものを、旗に表現したものを私は信ずる。また、丸でなくてはならず、三角形でも四角形でも星形でもいけない。なぜなら協調、協力を大切にしてきた日本人の本質に合致しないからだ。

 また、天皇という存在が、人間の善、清さがこの世に存在する証と考えるならば、白地こそは天皇を意味し、赤い丸はその善と清さがこの世に存在することを信じ、これを守るという日本人の誠実な心の現れのようにも感じる。これは、この国が建国された意義を、建国後の長い歴史の中で今はもうその建国の意義を知ることができない現代においても、旗を見る者に脈々と受け継がれてきた日本人のDNAに訴え、想起させてくる気がしてならない。


 ある者は言う。忌まわしい戦争の記憶を忘れるために旗を変えろと。また、在る者は言う。他国の旗と比べると色彩に乏しくて貧弱に見えると。

 しかし、旗を変えても記憶を忘れることはできない。私たちに必要なのは、旗を捨てて自分を捨て、忘れることのできないことを追い求めることではなく、むしろ、決して忘れずに同じ轍を踏む事無く、我が国が遠く建国された意義を思い起こし、その意義をこの世に広く知らしめる別の道を模索することだろうと思う。そのためには、くじけそうになった時に我が国の建国の意義を思い出す事のできる、この旗を愛することは大切だと思う。

 また、世界万国の旗の中に於いても日の丸が貧弱であるとは思わない。子供の頃、運動会には万国旗が掲げられた。数多、多彩な色使いの旗のひしめく中で毅然として、白と赤だけの、それも白地に赤丸の日の丸こそは、ひしめく旗の中においても、一際その存在を主張しているように感じる。


 我が家においても言えることだが、最近はマンション、アパートに住むことの多くなった現代人にとっては大きすぎて、また、大きさ故に街宣車で町中を走る一団と同一視されそうで、一般に販売されている日の丸国旗を掲揚することに抵抗を示してしまう。私個人としては、自分の戸口や背丈に合うようなこじんまりとした国旗を控えめに祝日祭日の節目に掲揚したい。私はこれを「ブチ国旗掲揚運動」と称したい。各々方、如何なりや。

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コメント

へのへの419様 こんばんわ
ジャンバラヤ -父・母・子のためのごった煮つぶやき集-で中学・高校を担当している頑固親父です。
国歌・国旗問題は、立場や見解、見方の違いで多くの意見があると思います。頑固親父が気になるのは、学校で「強制」していることです。憲法的な意味では、日本には国旗・国歌は存在しないという点では議論の必要なないと思います。従って、実質的に「国歌・国旗」として日本国民が思っているか?という部分になると思います。日の丸は蔵米船などに掲げられていたという歴史的事実はありますが、決して国を表す意味は無かったと思います。その後の船籍の為に掲げたという物を「国を表すために掲げたのだから、この時点で国旗として認められた」という解釈も存在します。しかし、「他に適当な物が無かったので、幕府のご用船などで使っていた旗と同じ物を便宜上つかっただけ」という解釈もあります。
 結局、いつから日の丸が国を表す様になったのか?という部分が問題だと思います。また、そういった経緯が、現在の教育の中でほとんど触れられておりません。ちゃんと説明しないのに「強制する」点が問題だと思います。
 また、国旗という割には、天皇陛下は日の丸を振ったことが無いと聞きます。国民が天皇の為に振ることはあっても、自身は振られて事は無いと・・・。事実だとすると国旗であるなら、不自然ですよね? また、一時期、国旗を掲揚しよう!という運動があり、祝祭日などに国旗を見かけた時期がありますが、いつのまにかすたれてしまいました。これも、資料本などを読むと色々な説が書かれており、結局の所、良く判りません。しかし、現在はほとんど見なくなったことは事実です。昔は、バスの前にも日の丸が掲げられたりしていたのを見た記憶があります。

君が代も同様。歴史的な経緯を見ると、旧文部省が、一貫して「国歌」という位置づけをしようと画策している様に見えます。元をたどると和歌に行き着くというのも事実だと思います。しかし、これも、あまり議論が無いまま、「強制」される所に問題があると思います。 少なくとも、ある時期、「天皇の為に歌われた経緯がある」というのも事実だと思います。「たかだか8年間・・・」だとしても。

こういった話題は、資料を書かれた筆者の思想に大きく左右される。本によっては、まったく正反対の解釈がされていたりする。頑固親父はしつこい性格なので、微妙な問題が書かれている本を読む時は、最低3冊は参考にするように心がけている。少なくとも、国民の総意として国旗・国歌が制定されたいるというならば、憲法で明記して欲しいと思う。「これが日本国の国旗と国歌である」と。そうならない限り、結論はでないと思うが、なぜか学校では強制されつつある。頑固親父的には、そこが一番気に掛かります。国民の総意合意の国旗・国歌であったとしても、学校での強制はおかしいと思っていますので。

投稿: 頑固親父 | 2004.08.29 22:35

頑固親父様 はじめまして。
コメントいただきありがとうございました。

えー、いろいろコメントいただいたのですが、どうも議論の開始点が違っているようですね。
ともあれ、「ふむふむ」とコメント読ませていただいた次第です。


お願いが3つあります。

「憲法的な意味では、日本には国旗・国歌は存在しないという点では議論の必要ないと思います。」というコメントについて。

初めてですね、こんな発言。
ブログをお持ちのようなので、その「憲法的に」というところを開始点として、一席論をぶっていただけないでしょうか。
これが1つめのお願い。

次に、
「日の丸は蔵米船などに掲げられていたという歴史的事実はありますが、決して国を表す意味は無かったと思います。」
というコメントについて。

その当時、他国の船が日本近海に近づいてきたりして、”日本の”船であることを示す為に使用した訳で、これって国を表していると言えるのでないのでしょうか。

さらに
「国民が天皇の為に振ることはあっても、自身は振られて事は無いと・・・。事実だとすると国旗であるなら、不自然ですよね?」
という御発言について。

もし陛下が日の丸を御振りになれば、あなたのような方々が靖国並に更に騒ぐのではなのかと思いますが。それ故、遠慮して御振りにならないのだと思ってます。それとも陛下を御振りになれば、日の丸を国旗と認めない方々が旗を認めるのでしょうか???
もし、頑固親父さんが国旗として認めるというのであれは、私、宮内庁を飛び越して陛下に直訴しますが如何ですか。


次に、国歌 君が代について。

たかだか8年のために1100年の歴史を捨てても構わないというお考えのようですね。
それはそれで個人の考えですから、私から特に申し上げることはありません。
しかし、教育者として利口な考えかどうかは、ぜひ中学生、高校生の皆さんにお聞きいただきたいと思います。


最後に
「国民の総意合意の国旗・国歌であったとしても、学校での強制はおかしいと思っていますので」
というコメントについて。

うーん。それって日本人の常識の範疇に入るのでしょうか?
国旗国歌であれば、学校で唱い、掲揚するのは当たり前で、そうしない方がおかしいのでは。
だだをこねて、「唱いません。掲揚しません」となれば強制せざるを得ないでしょ。
まあ、どう考えるのは個人の自由ですから、どうぞとしか申し上げられません。

ここで2つめのお願いがあります。

一人一人、思うところ、考えるところが在ってしかるべきだと思います。それをイデオロギと称するのでしょうか。インターネットの中で論を披露し合ったり、論を戦わせたりするのは健全だろうと思います。

しかし、学校教育でご自身のイデオロギを生徒に押し付けるのは止めてくださいね。
これが2つ目のお願いです。

相手は知識も経験の無い子供です。貴方がご自身のイデオロギを主張すべきは知識も経験も備えた大人に対してです。知識や経験を備えた大人同士が論を戦わせるのを見て生徒は学ぶのであって、教師の押しつけを生徒は期待していないでしょうし、そのような行為は次世代を担う日本国民の育成を大きく阻害することでしょう。

さて、国歌もだめ、国旗もだめ、国を愛してもだめ...
そんな「国を思ってはだめだめ」づくしの戦後教育で生まれてきた物は何ですか?

これまた、ご自身のブログで論をぶっていただけませんか。
これが3つめのお願い。

以上、宜しく御願い致します。

投稿: へのへの419 | 2004.09.05 23:53

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