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天皇という存在 ー私論 天皇論ー

 我が国の天皇という存在は、世界万国を見回しても唯一の存在で、類を見ない存在である。

 1つめには、遠い昔より我が国の歴史と共に、男系の血筋により綿々と受け継がれた存在であること、2つめには、歴史の時々に我が国を統治する権力者を認めつつも、その権力者は天皇に対しては臣下の礼をとっていたこと、つまり実質的には権力者に国内統治を認めながらも、精神的な面からは常に日本を束ねていた存在であること、3つめには、イギリス王室のような戦いによる征服でかち合えた領土を支配するような存在ではなく、多くの場合、その徳に触れ、その徳に敬服し、その徳に従うことを善しとする者達により、推挙されて「束ねる」存在となったことを挙げることができると思う。


 どうして天皇はこれまで我が国の歴史の中で綿々と代を重ねることができたのだろうか。また、天皇という存在は、我が国においてこれまでどのような存在であったのだろうか。我が国が個性と誇りを失いつつ崩壊の危機に面している今、私は深く国を憂い、街角のビルの片隅で段ボールに包まって朝を迎える者達を憂い、次世代を担う子らの行く末とこの国の未来を憂う。

 その憂いは、歴史の中に於いても、我が国が国として定まらずに国づくりに励んでいた時代の将来への憂いに通じるだろう。また、戦乱に明け暮れて屍だけが野を埋めた時代の憂いにも通じるものがあろう。そして、アジアの諸国が植民地として征服されたと聞く中で、見た事も無い鉄の船が突如現れて我が国を揺さぶったときの憂いにも通じるものがあるだろう。そう思うと、歴史のその時々に、我らが祖先も憂いの中で、天皇という存在がいかなるものかを考えたに違いない。


 今、我らは国に自信を無くし、民族としての自信を無くし、欧米の為すがままである。テレビのニュースでは毎日殺人のニュースを聞かされ、ドラマは人を殺して幕を開ける。まさに、人間は本来悪であり、金がすべての世の中であると考えるように仕向けられ、本気でそう感じるようになってしまったように感じる。

 私はそんな中でも、人間は本来善であって清いものであると信じたい。この世に生きてゆくなかで、人は罪を犯し、人の道を外れる。しかし、それは、生きてゆくことが誰にも保証されず、自分で手にいれる他に無いことに由来するものであって、もし誰もが生きてゆく事を満たされるならば、本来の善、清さは誰の元に現れてくるのだと信じる。


 しかし、それをどのように証明するべきなのだろうか。そう思う時、我が国の天皇という存在の意味と、我が国の歴史の中で脈々と息づき、そして時の為政者が守ってきた理由を知った。

 私が思うに、我らが祖は、人の善を最も良く知る一族に、いかなる時代においても人は善であって清いものであることを現してほしいと願い、天皇と言う存在を我が国に生み出して守ってきたに違いないと考える。それは、この世で生きていくという過程で忘れてしまいそうな善の自覚と清い心を持つことを、天皇という存在を通して再確認することであり、心の中の「善」「清」の鏡移し、あるいは自らの姿を映す鏡とも呼べる。つまり、私にとって、天皇とは私の中の「善」そのものであり、「清」そのものであって、両者を分つ事はできず、天皇は私の心の一部である。また、その鏡に我が身を映す時、如何に我が身が汚れているかを知る。


 このように考えると、天皇位に就くものが無私無欲の存在を目指し、至高の存在を目指し、我が国最高の祭祀としての任を全うする理由も自ずと理解できる。

 そう思う時、どうして天皇を守らずには居られようか。それは我が心の善そのものである。どうしてそれを汚す者達を許せようか。それは我が誇りへの侮辱である。きっと、この気持ちこそが我が国の歴史の幾多の戦乱をかいくぐっても天皇制が受け継がれてきた理由であり、我らの祖が命を賭しても守ってきた原動力であると堅く信じる。


 我が国が深刻な危機を迎えた今、この国が建国された頃に立ち戻って、その建国の意味を再確認し、単に先の戦争だけに捕われて論ずるのではなく、古く我が国の歴史の中で天皇が為した、その役割を再認識することが必要だろうと思う。

 私が思うに、我が国の建国の目的は、教育勅語に在る「国を肇むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり」という言葉が物語っていると思う。また、天皇が為した役割とは、仁徳天皇の故事を思い起こすことが良いかと思う。

 このように我が国においては天皇と国民は魂の根幹で互いが繋がっている存在であるが、もし仮に天皇家がイギリスを初めとする欧州の王族のような立場に憧れ、本来の意義を見失うならば、それは天皇家のみならず我らにとっても大きな不幸の到来を意味する事になるだろうと思う。


 最後に、一つだけ良く心得ておくべきことが有ると思う。この国を守るという口実で安易に武力に訴えることは慎むべきであろうし、その口実の盾に他国の国益のために我が国の国民が血を流す事を決して許すべきではないだろう。この国の諸々の民を守る為に、また自分の善の象徴である天皇を守る為に、やむを得ず武力によって我が身を守ることは許されても、決して云われの無い理由を口実に一国を攻め滅ぼすことは断じて行なうべきではない。武力を以て征服するのではなく、徳をもって集うことを善しと承服させることを以て、我が国建国の意義を更に宏遠なものとすべきである。


追伸

 今上天皇を以て、天皇は125代(明治以前の数えでは124代)を重ねるという。

 私がこの世に存在するためには父母の2人が在って、父母が在る為にはそれぞれに両親が必要である。つまり、4人の人間が在った訳で、2代を重ねるために4人(=2の2乗)の祖を持つ。そう考える時、125代を重ねるためにどれだけの祖が必要であろうか。

 天皇2代を以て、国民の世代が1つ重なると考えれば、2の62乗となるかと思う。(もし間違っている場合は、ご指摘いただきたい)何と4.61x(10の18乗)となる。現在の我が国の人口を1億2千万として、えいやと計算すると384億倍となる。ちょっと僭越なことであるが、日本史の教科書に必ず載っている推古天皇を起点として考えても、推古天皇が35代(明治以前の数えでは34代)であるから、2の45乗、つまり約35兆人となる。ともあれ、これでも膨大な人数となる。

 とある小学校の先生の逸話を紹介したい。詳しい一語一句は忘れてしまったが、おおよそ、こんな話だったと思う。「皆さんにはそれぞれにご先祖さまが居て、天皇陛下と共にこの世を生きていたと考えると、ご先祖様の人数はとっても沢山になります。自分の隣に座っている人とも、日本人であれば誰とでも、いつの時代か御先祖様が一緒のときがあったと言えるのではないのでしょうか。だから、皆さん!お互いに仲良くしなければいけませんよ〜」と生徒に話しかけたと聞く。

 世知が無い世の中になってしまったが、そんな中でも国民同士の助け合いの精神を思い出したいと思う。

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