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参議院選挙 選択 共産党?

政界に波乱をもたらすという意味で共産党に投票するだろう。私は共産党のシンパでないが、消極的選択として共産党を選択する。

 今回の参議院選挙はつまらないという論説もある。しかし、私は今回の選挙は、対外的な意味で、また米国への対応を決めるという点で大きな意味を持っているように思う。このまま、小泉純一郎が内閣総理大臣を続けて、日本が中東の泥沼にはまってしまって肝心の極東アジアの問題で腰砕けになってしまうか、あるいは、米国と中国という2大パワーの狭間で、どちらにも組みせずにバランスを取る路線へ舵を切るのか、大きな分かれ目だろうと思う。


 まず最初に、なぜ共産党であって自民党でないのか。理由は単純である。

 小泉純一郎が内閣総理大臣であることが、我が国とって不幸であるためである。また、小泉純一郎は保身のために、国を売りかねない存在であるためである。そして、参議院選挙で大敗しない限り、退陣はあり得ないためである。


 では、なぜ共産党であって民主党でないのか。その理由は4つほどある。

 民主党が取り交わした自民党、公明党との三党合意が、まず第一の理由である。あの三党合意は、管代表辞任阻止のための方策であったことは見え見えであったし。よしんば三党合意を行なったとしても、衆議院本会議で反対もしくは欠席による棄権を行なったならば、民主党は国民のために政治を行っていると信じ、今回の参議院選挙では、迷わず民主党を選択したであろう。しかし、

政治家個人の良心を抑圧して、党の方針としての賛成票を強制したことは、民主党の党としての信頼を大きく損なった
と思う。

 次に、現在の代表である岡田氏について、不信感を持っているためである。彼は、イオングループの名誉会長である岡田氏の息子である。民主党の代表である岡田氏が、イオングループなどの大手流通小売業に便宜を計る政策を、こっそり行なったりはしないと誰が保証できるのだろうか。一族の金儲けのために政界に親族を送り込むことは、現在の米国の状況そのままであり、金と権力が癒着する中から腐敗や、金儲けのための戦争と言ったような考えが生まれてきているように思う。また、彼は、三党合意に対して自署を行なった当事者でもある。合意が間違いであったことを認めず、また国民に対しても謝罪しない態度も傲慢に感じる。気になるのは、イオングループに対するシャープへの取引停止通告がある。シャープと韓国企業間の特許紛争に対して、なぜイオンが介入するのか。非常識な企業の息子が、政権政党に潜り込んだらどうなるか不安である。

 3つめの理由は、民主党古賀議員の学歴詐称問題について、党として明確な対処をしなかった為である。自らを偽って手に入れた議員として地位であるのだから、当然辞職と持って、その資格を返上すべきであったと思う。辞職を迫らず、離党で決着を計ろうとした背景には、辞職すれば当然補欠選挙があり、同じ選挙区の候補であった山崎拓が政界に舞い戻ってくる可能性があるl。私は、そのためだけに辞職ではなく、離党で事の決着を民主党は計ったのだと考える。果たして、このような卑屈な手段を取る政党が、果たして新しい政権政党となりうるだろうか。所詮、自民党の二番煎じがいいところだろう。

 最後の理由は、自民党+公明党が参議院過半数を割るようになった場合、当然この二党は、民主党に対して連立を申し入れるだろう。簡単に三党合意を行なった前科を考えれば、あっさりと自民党に代わって政権政党になるという公約を反古にして、連立を受け入れてしまうような不安があるためだ。


 さて、最後に参議院選挙に共産党に投票して、国民として不利ではないのか考えたい。この点は、先のコラム(三党合意にみる議員の裏切り)でも論じた。あの時点では、小泉政権の対北朝鮮政策、中東政策が明確になっていなかったが、「だろう」という立場で考えていた。しかし、今は違う。コラムの繰り返しになるが、参議院選挙で仮に共産党が第一党となったしても、日本と言う国の屋台骨は大きく揺るがないと思う。懸念される点は、内閣指名の件、予算法案の採決、一般法案の採決の3つを挙げることができると思う。内閣指名は、参議院と衆議院は異なった場合、衆議院が優先される。つまり、衆議院で過半数を占める政党(現在は自民党と公明党)が指名される。予算法案については、衆議院が先に審議する規則となっており、万一、参議院で否決されたとして衆議院で3分の2以上の賛成を得ることができれば可決する。また、一般法案は、衆参議院のどちらからでも審議を開始できるが、共産党の主導で可決された参議院法案は、あっけなく衆議院で否決されるだろう。一方、衆議院で可決された法案が参議院で否決されたとしても、予算案同様に衆議院で3分の2以上の賛成を得れば可決される。


 結論的にどうなるかと再考すると、衆議院で過半数、つまり、自民党と公明党の2党が可決した法案は、参議院で否決されて衆議院に戻ってくる。そして、衆議院に於ける再審議では、民主党の賛成を得られないと可決されないという事態になる。よって、法案の再可決においては、前国会の年金法案のような民主党抜きの強行採決はできないこととなる。

 更に、衆議院→参議院→衆議院と法案が流れるのであれば、

3議院制と実質的に同じ
になる。先の国会での年金法案の可決のあり方と考えると、できるだけ多くの本会議で採決を強いることが国民にとっての利益になると私は考える。

 もし、参議院において、自民党と公明党、もしくは自民党+民主党が過半数を占めた場合、前回の国会のように法案がマトモに審議されないまま、素通りしてしまう危険性が懸念される。つまり、この状態では、二院制と言えども、実質一院制と変わらない状態である。


 

実質一院制となることは、国民にとって不利な法案が今後も年金法案同様に強行採決されるということを意味する。
これは、国民の利益を大きく損なう現象だろうと思う。

 しかし、それより深刻な現象は、しらけムードの中で自分の投票権を行使せずに棄権することだろう。もし、自分の息子や甥が、他人の利益のために戦場に駆り出されても結構であるだと考え、また自分自身が大金持ちの更に裕福になる為にあくせく働く事を厭わないというのであれば、特に申し上げることはない。

 でも、せっかく持っている権利、上手に使って悔いを残さない方が良いのでは...

 あなたはどうします? 今度の参議院選挙?


追記

この参議院選挙で一番悩やむのは自民党支持者だろう。支持者として投票すれば、小泉純一郎は政権を維持し、小泉一人のために自民党は崩壊する。それは、冬虫夏草のように、自民党に巣食った公明党によって。また、小泉純一郎以外の党有力者の政権を立ち上げるには、自民党は大敗しなければならない。しかし、これは支持者としての裏切りとなる。

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憲法9条と日米安保

私は、憲法9条と日米安保はどちらが欠けても日本を不幸にすると思う。

巷では、憲法9条と日米安保は対立するように論じられているが、私はそう思わない。過去、この2つの、一見、相矛盾するような両者は、お互いを牽制し合いながら、平和の元に日本の繁栄を導いたように思う。


共産党を初め、左派の属する方々は、日米安保を目の敵にして、その廃止を声高に叫び、自衛隊廃止を唱える。しかし、憲法9条だけで、自分達の大切な人をどうやって守るつもりなのか。日本を攻撃するのは、中国、韓国だけではないはず。もし、共産党を支持者の皆さんが嫌いなアメリカが、日本を攻撃して来た時にはどうするつもりなのだろうか。他国を侵略する軍事力を備える事には反対だとしても、やはり当分の間、日本が自衛するだけの軍事力を確保しておくことは、致し方ないと考えるのは自然ではないのだろうか。とすれば、安保反対を唱える時には、必ず常備軍創設が引っ付くはずだ。


次に、自民党を初めとする右派の唱える憲法9条改正について、安保を温存したままで、軍事力や国外に拡張した集団的自衛権を認めるならば、最悪の場合、日本の軍隊がアメリカ人のあごで使われることになりかねないと思う。現に「日本、航空自衛隊司令部の横田移転を検討」の記事には、”在日米空軍司令部がある米軍横田基地(東京都)に、航空自衛隊の航空総隊司令部(東京都府中市)を移転する検討に入った”と有るし、「米、陸軍第一軍団司令部 日本へ」という記事もあり、見出しは『「安保逸脱」と政府難色 』とある。


これらをそれぞれ考えるに、安保反対、自衛隊廃止を単純に唱える人間が、真に日本という国、次世代を担う子供達の未来を考えているようには思えないし、安保を温存して憲法9条を改正しようとする人間も、我が国をより一層深刻な米国隷属状態に陥れるようにも感じるが故に、日本と言う国を真に考えているようには思えない。

もし、憲法9条を改正するというのではあれば、安保を保持しつつも、集団的自衛権の適用範囲を、基本的に日本の領土、領海、及び領空のみとし、朝鮮半島については北朝鮮と韓国の統一が実現するまでの時限的なものとすること、中国に対しては中国領域への侵略のための集団的自衛権の発動は行なわないことを何らかの法律で明記する必要があるだろう。

できれば、9条を改正し、安保を失効させて、自衛目的に限定した常備軍を確保し、経済面、軍事面の独立を勝ち取ることが望ましいが、残念ながら、現時点では米国に拮抗するだけの軍事力は、日本一国では保持し得ない。


もし、これらを言明すること無しに憲法9条改正を行なった場合、アメリカの国益のために日本の自衛隊が活動しうると考えて、中国と韓国は態度を硬化させるだろう。その結果、中国対米国の対立の矢面に日本が立ってしまうことが想定される。この場合、中国に対して、かつてのキューバ危機に於ける、キューバを日本が演ずることになる

その対岸にある、安保を放棄する論議については、もし真剣に放棄を行なうならば、少なくとも米国と拮抗できる兵力を保持しなくては日本の独立は危ういものになる。しかし、拮抗した兵力を備えたとしても、国土の面積比の不利を解消する妙案はなく、極めて非現実的で、机上の空論的な発想のように感じる。


以上を考察するに、

北朝鮮問題の「万一」を想定して日本国内の環境を整備するとしても、中国、韓国との協調関係を確保しつつ、アメリカのわがままに振り回されないような策を立てることが必要である
と痛感する。にも関わらず、昨今の日本政府の施策や対処を注視すると、なし崩し的にアメリカだけに有利なように法改正を行なおうとしているような気がする。

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プロフィール画面に、マックな人リンクをつくりました。

以上、業務連絡でした...

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「勝ち犬、負け犬」? 「勝ち組、負け組」?

いつも御邪魔している瀬戸さんのコラム「負け犬、勝ち犬論争について思うこと」について、ちょっとコメントを...

まず最初に、私の「勝ち犬、負け犬」感から。
私は犬ではありませんので、人をそのように例えたくは無いです。いずれを取るにしても、自分を卑屈化しているような気がします。

次に、勝者については「驕れるものも久しからず」、敗者については「痩せ蛙 負けるな一茶 ここにあり」と感じです。

瀬戸さんのコラムで、ちょっと残念に感じたことがあります。

>女の人は未婚であろうと、既婚であろうと、
>人生の生きがい、幸せと結婚との天秤を測らなければならない

とのことですが、私は、生き甲斐と幸せ 対 結婚という構図で、結婚を考えていただきたくないなと願っております。私自身は、夫が外に出て働き、妻は家で働くのが良いと考えています。私が女性であり妻だった仮定として、疲れて帰ってきて玄関を開けたら、むさ苦しいおやじっちが「はぁい〜、おかえり」と出迎えた日には、ぶち切れてちゃぶ台ひっくり返してしまいます。(爆)

そう言うと、フェミニズム、ジェンダーフリーを標榜する女史の皆さんは聞き捨てならんと御感じでしょうが、私は、男性には出来なくて女性にしか出来ないことが世の中に有る以上、そこに両性の違いを認めるべきだと考えています。私は、女性を尊敬していますけど。
また、「女性を家に繋ぎ止めて」と、これらの女史の方々は私を責めるかもしれません。でも、どうしても私には妻に家に居てもらわねばならんのです。

その理由はいくつか有りますが、

1)食文化の荒廃を糺すには、日本古来のお米と野菜を中心とした食文化、和食を再発見する必要があると考えて居りますが、人工調味料に頼ったりせずに本物志向を目指すと、和食を作ることは非常に時間がかかる為です。そうすると共働きでは到底無理です。

2)外で働いていると、余暇の時間が取れずに、どうしても市民としての義務、例えば時事についての見識や選挙の際の投票の意思決定、ニュースに対する世論の動向、最近の話題などに疎くなってしまいます。また昨今は情報過多と言われる時代です。そのため妻には、外で働く夫の良き頭脳として情報の収集と洗濯(必要な情報を深め、不用な情報を捨てること)を御願いしたい為です。

3)ちゃんと躾の行き届いた子供に育ててほしいからです。やはり、すくなくとも片親は子供の側に居て、厳しく躾けてほしいと思っている為です。


子供達が不躾になった →
 → (その不躾な子供達が大きくなって)→
  → 子供達が被害者となる事件、犯罪の低年齢化が顕著になった

と考えるためです。

この現象は、フェミニズム、ジェンダーフリーを標榜し、働く女性や男性女性間の性差の無視を薦めたことにも原因の一端があるように私には思います。


さて、次に「未婚、子なし、30代以上の女性」について。

もしそうであるとしても卑屈になる必要はないと思います。少なくとも「負け犬の遠吠え」を著作した酒井順子女史は、卑屈になる必要は全くないでしょう。
人として死ぬ前に行なうべき事として、

1)子供を育てること
2)木を植えること
3)本を書く事
の3つを教えてもらいました。これらはどれも次世代への贈り物です。どれも大変なことですが、女史はすでに1つを成し遂げた訳です。どうして卑屈になる必要があるでしょうか。また、一般の「未婚、子なし、30代以上」の女性についても、昨今の社会情勢を考えれば、果たして結婚すること、子供を設けることが、果たして自分と相方に取って幸せなことか議論が分かれると思います。「未婚、子なし、30代以上」の男性だって、それなりに風当たりがあって大変です。(経験者語る..)死ぬ前に次世代に対して何かしらの贈り物ができれば、自分の人生に満足できると思います。
すべては死ぬ時に決まるものであって、その道中で卑屈になる必要など全く無い!

ただ、金持ちの相手がいないからとか、自分より馬鹿な男ばかりだからという理由で結婚しないことについては、私はそんな彼女を軽蔑します。

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小6女児殺傷事件、報道、殺人罪

佐世保で起きた事件を考える時、報道と事件の解説、そして殺人罪に対する刑罰について疑問を持った。

まず最初に、娘さんを亡くした御手洗さんに対してお見舞いを申し上げたいが、言葉が見つからない。自分の大切な人を失うことなど到底思いもしない場所や状況で、その大切な人を亡くすことを思う時、心中を察するに余りあり、どのような言葉が適切か思いつかない。


各局こぞってニュースで取り上げて、専門家、コメンテータを交えて報道しているが、その報道内容、解説内容に疑問を持たざるを得ない。


報道内容については、被害者並びに父親の御手洗さんの会見を中心に、繰り返し、繰り返し同じような放送しているが、それで事件の概要がわかるのか疑問に感じる。加害者の親や家庭環境がどうなっているかは報道から何も伝わってこない。実名を挙げることは不適切であると考えるにしても、父親、母親がどのような職業で、どのような家庭環境になっているのかを報道しなくては片手落ちのように感じる。

また、佐世保の小学校や各家庭で行なっていた教育や指導、或は佐世保を初めとする長崎県での犯罪率、検挙率の過去推移等の事件の背景や、過去に起きた事件との比較等も報道するべきはないのであろうか。また、質問に答えても亡くなった娘さんが帰ってくる訳ではないのに、「お嬢さんの夢は何だったのですか」などと無神経に質問する記者に激しい怒りすら感じる。結論として、

マスコミ初め報道機関の報じる内容は野次馬的なものばかりで、事件について深く考えさせられることがない。

解説内容についても、大いに疑問に感じる。大半はインターネットの掲示板とチャットに焦点を当てて問題視した解説を行なっているが、それでは余りにも表面的な解説に留まっているように感じる。加害者側の家庭環境が全く報道されない状態では推測の域を出ないが、私は、思春期前の子供の複雑な心理を、加害者と被害者の親が十分に理解することが出来なかったことが、大きな原因ではないのかと考えている。

娘さんを亡くした御手洗さんには、今の心中を察すると申し上げにくいが、もし、それぞれの娘さんが帰宅した際に母親が、自宅で待っているのであればどうなっていたであろうか。察するところ、学校で起きたあれこれを母親に話して、娘が行き過ぎたと母親が感じれば当然たしなめるであろう。とすれば、事態は全く別の結果となったように考える。

不安定な思春期初期の心理を、本来であれば打ち明けるべき母親がいないため、彼女達はインターネットの掲示板やチャットに求めたのではないのだろうか。
そう思うと、インターネットに原因を求めるのは余りにも単純すぎる気がする。また、イラク人質事件、拉致被害者家族会へのインターネット上でのバッシングに対する報道ぶりや、先日起訴されたWinny開発者に対する報道を思い起こすに、「インターネットは悪いものだ」という先入観をもって解説しているようにも思う。

ただ、掲示板、チャットに限らず電話等、相手の顔を直視することのない状態での嫌悪感は、嫌悪感の感じた途端に殴り合いの喧嘩のような状態となること、また、匿名の発言などでは、通常であれば喧嘩となりうる表現が多用されることは、私も認める。


この事件により、果たして現在の刑法や少年法で良いのかと私は一番強く感じた。ここ数年間、テレビのニュースを思い起こすと、如何に人が死んだ報道が多い事だろうか。また、殺人に対する罰にしても、死刑が宣告されるは稀で、ある面加害者側の方が厚遇されているようにすら感じる。また、刑事コロンボや女性に人気のサスペンスドラマを筆頭に、ドラマと呼ばれる番組は人を殺して始まっているものが大半である。映画においても死ぬことがごく当たり前で、コンピュータゲームも殺人を行なうものが大半である。そのような中で、私たちは殺人に対して余りにも無神経にされていないだろうか。否、殺人を奨励させられていないだろうか。

そう思う時、我が国においては、

殺人罪に対する処罰として、原則死刑とする
ことを真剣に考えるべきだろうと思う。諸外国と異なることとなったとしても、これらの先進国と呼ばれる各国でも犯罪が多発化、凶悪化していることを考えれば、日本には日本なりの考えを持っても揶揄されることはないと思う。また、平成15年に起きた4歳児誘拐殺人事件を初め、昨今の青少年の殺人事件が増加傾向にあることを考えれば、青少年についても、
殺人に対しては少年法の適用や少年法の年齢規定の適用を行なわず、直接刑法を適用すべきである
と考える。


今回の事件を初め、近年起きている青少年の殺人事件は、大人の考えや行動を映し出しているように感じられてならない。また、青少年の事件の根源的な原因として、戦後もてはやされた核家族の致命的な問題点を感じられずにはいられない。

6月3日追記
「くまをとる」ブログの "「文章を書くこと」と感情の純化について"も一読の価値ありです。
「ダラダラブログでいってきます。」にて「小学生がTVドラマで実行決意」というコラムが載っています。

「あっかんべぇ」ブログの「過激な言葉の並ぶ加害女児のHP」というコラムで、事件に関連したZAKZAKの記事『「容姿バカにされた」4日前にも計画』を知り、早速読んでみたところ、とても落胆した。加害者の家族は、5人家族で、父、母、姉の他に祖母もいたという。夫婦共働きとは言え、自宅には祖母がいたことになる。

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