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絶対評価と相対評価 Part2

先日、「生徒の評価はどうする?:絶対評価と相対評価」というコラムを書きましたが、どうしてもしっくりこなくて、アレコレ考えておりました。ようやく形になってきたので Part2 としてまとめてみます。

なお、考えた挙げ句のものなので、不備な点、間違っている点、参考とするべき資料等あれば、コメントにてご指摘いただければと思います。

絶対評価の特徴について、以下の2点を挙げることができます。


  1. 絶対評価の方が相対評価よりも生徒を正しく評価できる。ただし、適用においては制約条件が課せられる。

  2. 極限状態では、絶対評価は試験の成績に近づく。

次に、個々の特徴の詳細について述べます。

  1. 絶対評価が優れているとする理由については、先のコラムを参照願います。ここでは、制約条件について述べます。絶対評価の場合は、相対評価では発生しなかった「評価を行なう人間の主観の混入」という問題が指摘できると思います。この問題を防止することが条件であり、防止の為の客観的な基準の導入が条件となります。

    この基準は、生徒の成績が正しく5段階に評価されるための基準と、評価した結果がクラス間、あるいは学校間で共通であるための基準の2つで構成されなければなりません。この2点が満たされない場合は、絶対評価が相対評価より劣っているとは証明できないものの、絶対評価は生徒を評価するには適切ではないと考えられます。

  2. 絶対評価の精度を高めるには、評価値の刻み幅の細分化と評価項目の詳細化の2面が指摘できます。刻み幅が最も高精度になる場合は試験の得点をそのまま使用する場合であり、評価項目が最も高精度になる場合は評価を行なう期間中に行なわれた試験をすべて使う場合となります。つまり、精度の極限状態では、絶対評価は試験結果と一致することが予想されます。

以上の踏まえて考えるに、絶対評価を採用する場合には以下のような方策が必要と考えられます。

精度の極限状態が試験結果となることを踏まえると、適切な試験問題を作成することが大変重要となります。しかし、これは作問者に対して大きな負担を強いるものであり、個々の教師が単独で行なうことは不可能と考えられます。また、学校間で基準が共通であることが必須であることを踏まえると、一括して全国に共通する試験を作成することが必要と予想されます。

ただし、教育の本来の目的が、学習すべき項目全ての習得させることと考えるならば、試験はその習得の度合い(ある意味で、未習得の度合い)を量るものであり、それを以て評価を行なうのは、教師が生徒に習得させていない箇所が残したことを意味することとなり、教師にとっての不名誉を意味することとなります。また、たった一回の試験(機会)だけで評価を行なうこと、つまり生徒の習得度合いを決定することは、生徒の進路選択の自由を狭める事にもなります。

よって、試験は、同一項目について複数回受験するを可能とし、生徒が少しでも多くを習得できるように配慮することが望ましいと考えられます。ただし、この案を採用した場合、複数回の試験における得点の経緯を評価の基準とするか、最高点のみを評価の基準とするかは議論の余地が残ります。なお、複数回受験するかどうかの選択は生徒に与えられるものとします。

次に、絶対評価が精度の極限状態で個々の試験結果に一致してしまうとするならば、果たして絶対評価の意義が有るのかについて考えてみたいと思います。

生徒を評価する理由は大きく下記の2点が指摘できると思います。


イ)習得すべき科目の習得度合いを明確化すること
ロ)習得する意欲を客観的に指摘すること

最初については前項で論じているので、ここでは2つめの理由について考えてみたいと思います。

「意欲」を計る対象として、過去との比較と他生徒との比較の2つが考えられますが、他生徒との比較を行なう場合、基準を設定することが著しく困難であることが指摘できます。よって、意欲は、評価対象者の「過去との比較」のみにより測る事が現実的と考えられます。また、評価方法としては、相対評価は不適格であり、「結果は、他生徒の存在の影響を受けない」という自明な特徴を持っている絶対評価が適していると言えます。

例として、前学期の試験において30点しか取れなかった生徒が、今学期に意欲を高めて50点の点数を取得した場合を考えてみます。この生徒は今会期に習得すべき内容の半分しか習得できなかったのですが、前学期と比較すると、より高い意欲を示したと言えます。とすれば、半分しか習得していないとしても意欲は高く評価されるべきでありますが、習得度合いのような数値的な基準では評価できないことが指摘できます。

つまり、意欲を測ることは、ある程度教師の主観が入らざるを得ないと考えることができます。

なお、先に述べた「複数回の試験における得点の経緯」が、生徒が示した「意欲」を意味しているとするならば、評価対象者の過去として用いることができると考えられます。

まとめ

  1. 取得結果の評価に試験結果を用いる場合、学校間で共通の試験が必要である。また、選択の幅を広げること、複数の機会を与えるという意味で複数回の受験権利を生徒に与えるべきである。
  2. 評価は、絶対的数値によって表現される習得結果と、教師が、対象生徒の「過去との比較」によって表現された習得意欲の2点で構成されるべきである。


補足

  • 相対評価を行なうことは、試験の作問の出来不出来による問題点を見えなくする効果を持ち、ある意味で教師の力量不足の隠れ蓑となっています。
  • 習得結果を量るための試験の実施については、近年発達したコンピュータネットワークの利点を大いに活用すべきです。

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ジェンキンス氏 麻生太郎 アメリカ

情けない、日本政府の大臣ともあろう者がアメリカの宣伝員になるとは。

今日の朝、@nifty NEWSを見て愕然とした。

日本政府としてジェンキンス氏の訴追免除や恩赦を得る為に努力しており、また日本に来日できるように国民も望んでいるのに、こともあろうか日本政府の大臣である麻生総務大臣がそのような努力は無駄だというような発言をしている。彼には、国会議員としての国への忠誠も、大臣としての誠実な職務遂行意欲も感じられない。

麻生大臣は、「(脱走罪などに問われている)本人が幸せにやっているから許してと言っても、国際社会は通らない」と言い、「交通違反をしても、この人は今幸せな生活をしているのでもみ消してと代議士に頼むのとどこが違うのか」と言ったらしい。

これらはアメリカ政府の報道担当者の発言するべき内容である。かってに人の台詞を盗むのは良くない。

ところで、ここで言及した「国際社会」とはどのような社会なのか。「国際社会=米国の意向」として論じているのならば大臣としては失格だろう。また、その交通違反は未だに容疑の段階であることを忘れて、また今回の事件が交通違反などとは比べようの無い内容であるにも関わらず、「交通違反をしても、この人は今幸せな生活をしているのでもみ消してと代議士に頼むのとどこが違うのか」というような発言を行なう人間の資質に、私は疑問を持たざるを得ない。

代議士は、これまで法を作りうるという立場を悪用して議員年金などの自らの特権を国民に隠れて作り上げてきた。自分達が国民を蔑ろにして幸せを追求してきたことを棚に上げて、ジェンキンス氏を責めることはできるだろうか。

もし、米国の走狗となって、大臣であり国会議員である麻生太郎が、

脱走罪に対して訴追免除や恩赦を許すべきではない
と主張するならば、

私は、

国会議員という重職に有りながら国民年金を払っていなかったことに対して、議員を続けることを許すべきではない
と主張したい。

まさか、国民年金は支払わずに、議員年金をせっせせっせと支払っていたなどということはないと思うが...

5月30日お昼に追記
「週刊!Good News」でも「麻生総務相、脱走訴追免除を批判」としてコラムを出してますね。

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生徒の評価はどうする?:絶対評価と相対評価

私は、相対評価より絶対評価の方が良いと考えております。

瀬戸さんのコラム「絶対評価と相対評価」と受けて、このコラムを書いております。

最近、「絶対評価「5」にばらつき 学校間格差45倍」という問題があるそうですが、私はこれは教師の教えるテクニックと、教える内容に起因するものではないのかと思います。また、例え相対評価であったとしても、学校間の格差、つまり生徒の修得度に格差があるのはないのかと考えます。

よく言われる問題点として、絶対評価における評価基準の問題がありますが、私は、生徒が全学期と比べて成長したか、また、自分の課した試験に対してどれだけ答えることができたかを基準とすれば別段苦にはならないと思います。

生徒の指導については教育指導要領が定められているのですから、指導要領に盛り込まれている内容を教えて、それを試験すれば良い訳です。もし、その試験でクラス全員が100点で有ったとしても、内容を全員が習得した訳ですから全員5でも一向に構わないと考えます。むしろ、それが自然ではないのでしょうか。

だって、一生懸命勉強して、90点とった。つまり教えてもらった事の9割を習得したにも関わらず、クラスの半分が91点であった場合、せいぜい3、恐らく2という評価になると思います。それじゃ、不満感だけが心を占めてしまうような気がしますし、「じゃ、適当にやっとけ」ということにならないでしょうかねぇ。


また、評価をなくすことについては、勉強の目安、ゴールを無くす事とならないかと危惧します。「100点取った!」の充実感は「次も頑張ろう」というやる気につながると思うんです。むしろ、相対評価であるが故に、ゴールの位置に向かって生徒を導くというよりも、目盛りが伸び縮みような定規で生徒を無理矢理序列化していることに問題があると思うのです。つまり、みんなで仲良くテープを切れるゴールも無く、試験が終わってから決まる定規で番号を振られる訳ですから、どうしてもお互いの足を引っ張るような行為をする。それがイジメに繋がっているようにも感じます。

さらに、5段階の評価を無くし、文章によって生徒を評価するとした場合、教師の主観や感情に左右され、恣意的にならないでしょうか。もし、どうしても文章によって評価することに固守するのであれば、評価を教師が行なうのではなくて、まず生徒を複数の班にまとめて、同じ班の生徒同士が寄せ書きするような形の評価にすべきと考えます。つまり、ABCDEFの6人構成の班の場合、A君の評価をBCDEFそれぞれが文章化する訳です。ただし、この場合、相手をけなすことが道徳的に恥ずかしいことであり、良い点を見つけて褒めることや、直す事によって向上するであろう欠点を教えてあげることが一番大切であることを生徒に理解させることが必須と考えます。


戦前は絶対評価であったと聞いております。戦後の日本人と比べると、戦前の日本人の方が「仲良く助け合う」心が養われていたように感じます。

成績評価、これは今の教育問題の根源の1つであり、政治の場でも議論する問題と思うのですが...どーでしょ。

だって...子は国の宝のはず.....

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第2回日朝首脳会談:もしも...

ひょっとすると、それなりの成功だったのかも..

 マスコミ初め評論家の方々は失敗会談と一様に断じているが、果たしてそうだろうか。援助だけ約束してきて踏んだり蹴ったりだというのが大方の評価だ。小泉降ろしを画策する連中は、これ幸いと「大失敗」と世論を信じ込ませるのに必死である。また、拉致被害者の家族会も「考えられる範囲で最悪の結果」とまで評した。

しかし、

 中国、ロシア、韓国が北朝鮮に対して何らかの援助を行なっている中で、単に拉致問題の解決を盾に日本だけが援助を拒む事は、アジアに於いて日本が孤立することに繋がらないだろうか。

 また、今回の会談によって、

日本に対して米国がどのようなサポートをなし得るのかを判断する良い機会になった
のではないのだろうか。私は、米国は日本をサポートしないと思う。拉致問題の解決の1つに、曽我さんの夫のジェンキンスさんの処遇が懸案であったが、これを米国はあっさりと免除しないと言い、さらには、「米国の司法権は、ジェンキンス氏の「国籍」に左右されないとも指摘」した。

 つまり、米国は、あくまで自国の国益を最優先に考えて、その上で余地があれば日本をサポートしてもよいと考えていることが明白となったと言える。北朝鮮については、核兵器開発とそれが自国に届く可能性だけが米国の関心のように見受けられる。また、米国の司法権は他国を超越するとまで言っており、名実ともに

世界の無法者である

と宣言したにも等しい。今回の首脳会談によって、米国の対応があぶり出せたことは成果と言えるだろう。


 気になるのは拉致被害家族の家族会の動向である。彼らはどのようにこの問題を解決したいのだろうか。一括して解決をと唱っているが、そんなこと実現可能なのだと考えているのだろうか。

 最近の彼らの言動は、拉致された自分たちの家族のためなら、経済制裁を発動すべきだとも言っている。これは、悪く解釈すれば、自分達の家族を戻すためなら、北朝鮮の国民が何百人死のうが関係ないと言っているとも取られかねない。今回の食料援助が北朝鮮国民の末端まで届くかという議論もあるが、今回の援助は国連経由で行なわれるらしい。それ故、食料が末端まで届くと考えたいし、それこそ必要ならば、日本から監視団を送り込むべきではあると前向きに考えたい。

 また、北朝鮮には圧力しか効かないと言っている。これも同じように解釈すれば、いざとなれば戦争も辞さないと言っていると取られかねない。そんなことをすれば、韓国のソウルもさることながら、我が国の大都市やインフラが攻撃されて多くの人間が死ぬ事になる。それでも自分たちの家族を取り戻すためならば構わないと言っているようなものだ。


 彼ら家族会の方々が、このようなことを考えているとは私は信じたくない。また、国民が彼らから距離を置こうとすることも望まないし、支持を失うことも望まない。しかし、今回の首脳会談に対する記者会見はどうだっただろうか。最近の彼らを見ていると、政治に利用されているように感じる。また、米国にも利用されているようにも感じる。それが心配だ。彼らは、いざとなれば米国が後押してくれると信じているのだろうが、私には空しい願いだと思う。

 現実的には、米国はイラクの問題で手一杯で、在韓米軍を削減して振り向けているのだから。さらには、選挙間近になって形勢が悪いようならば、もう一国戦争に引きずり込んで選挙をうやむやにしようとしている素振りもある。その一国は中東のどこかであっても、北朝鮮では無い。北朝鮮における米国のスタンスは、日本や韓国、遠く迂回して中国や北朝鮮に武器を売って自国が儲けることに専念するものと私は考える。


 一方、日本が北朝鮮に対して戦争も辞さずと言ってみたところで、韓国は米国と一線を画する立場を取り始めており、よーく見てみれば、極東において、北朝鮮の味方に中国、韓国、ロシアが居ても、日本に後ろには誰も居なかったということになる。そのような中で、強硬路線がいつまで取れるだろうか。

 また、イラクではサマーワと言えども不穏な状況となって来つつあり、できるだけ早く自衛隊を撤退させることも我が国としては大きな問題の1つである。とすれば、米国との関係は冷却化することは必至であり、北朝鮮問題で米国の威光を当てにすることはできなくなる。

 となれば、ロシア、中国、韓国と共に時間をかけて北朝鮮に対応してゆくことしか方策がないように思う。この点は、FAIRNESSさんのコラム「日朝首脳会談」と意見が一致する点だ。

 興味深い意見がある。「国際戦略コラム」の最新コラム「 1634.小泉首相の北朝鮮訪問」では、首脳会談と時を同じくして国連職員も北朝鮮入りしており、今回の首脳会談には国連が関与しており、米国の威光が地に落ちたと述べられている。

 小泉首相にとって今回の首脳会談の成果は何だったのだろうか。私が考えるところ、どこまで行なえば国民の指示を得ることができるか見極めることが出来た点ではないかと思う。

歴史に「もしも」は禁句だが、

もしも6月に第3回首脳会談を開き、見極めた成果を手にして帰国したならば、国民は熱狂的に小泉首相を迎えることにはならないだろうか。

もしも、6月の六カ国会議の席上で、日本として受け入れうる成果を北朝鮮が持ってきたならばどうだろうか。

もしも、6月には始まると言う不明者の再調査で、あっさりと大半の消息が判明した場合はどうだろうか。


いろいろな可能性がある。それ故、今現在、第2回首脳会談を評価するのは危険だと思う。少なくとも参議院選挙が終わってから、じっくりと評価すべきではないのだろうか。

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大和撫子を守らねば!

曽我さんの、毅然とした、そして礼儀正しい振る舞いに感銘を受けました。

2家族のお子さんが帰国するという発表の中で、その2家族に対して祝福の言葉を述べ、そして、ご家族が北朝鮮に残ることになったにも関わらず、小泉首相に対して礼を尽くす。そんな貴方の振る舞いに感銘を受けました。昨今、日本人の心が失われたという中で、久々に大和撫子を見た気がします。しかし、大和撫子が可憐であるにも関わらず、その今の境遇を思う時、何とも痛々しく、悲しみで私の胸は一杯です。

瀬戸さんのコラム「曽我さん、応援しています。」同様、私も応援しています。否、尊敬しています。そして、尊敬する貴方の願いが叶うように、出来る限りのことを試みたいと思っています。
また、曽我さんのご一家が安心して日本で暮らしていただくには、私のコラム「ジェンキンスさんの意思はどうなるの」や、オトーピーさんのコラム「ジェンキンスさんを守る覚悟はあるのか」でも述べられているように、「米国に逆らってでも自分たちが保護します」という覚悟を、国民全体の総意とすることが必要と感じております。

しかし、それは日本が米国と袂を分かつことを意味し、日本が真剣に自立について考えることを意味することなのですが....

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日本の宝を売っているのは誰だ

昨夜、ワールドサテライトと経済ニュースで武田製薬株式会社の会社規模と研究開発の優秀性について報道していた。「なんでまた今頃..」と感じていただが、今日、「ふわふわ日記」blogのコラムを読んでビックリした。

来年、商法が改正となり、株式交換での買収が可能となると言う。外国の大企業が、

自社の株式を新たに印刷して、つまり、一切お金を使う事無しに
日本企業の株式と交換する形で買収できるのだ。国内の企業の場合、海外の大企業と比べると体力差が歴然としている。そんな中で株式交換という外資からの買収を許可すれば、日本の宝とも言える、高い収益性や高い研究開発力を持っている企業は真っ先に狙われることであろう。

「ふわふわ日記」でも指摘している通り、なぜ株式が低迷している今の時期に、つまり、買収するのに過去より少ない費用で買収できる時期に、このようなことを許可するのであろうか。さらに、円安となっており、今までよりも少ないドルで同じ額の円に変えることができる。外資に取っては二重の好条件を与える状態となっている。

我々の先祖が苦労して築き上げた国の宝を、易々と乗っ取らせてしまっていいものだろうか。このような国益の元となる宝を売り渡すことを認めた政治家は国益を守る存在なのだろうか、また国民の代表であると言えるだろうか。また、このような施策を立案した官僚は、公益のために働く存在と言えるだろうか。

このような政治家や官僚を生み出した原因は何なのだろうか。

私が考えるところ、生み出した原因は2つあると思う。
1つは、国民一人一人の「無関心」による政治家の横暴や特権意識化を許していることと、
そして、もう1つは、国民一人一人から「愛国心」が欠落したが故の国益という概念の欠落だ。

とりわけ深刻なのは、正しい愛国心の欠落だと考える。このために、国政に関する関心を低迷させることや、日本国並びに国民の利益を求める政治家がほぼ皆無となってしまっている。

我が国の歴史の一瞬にだけ注目して、単純な理由で国旗、国歌を否定して、まっとうな愛国心の育成に背を向けてきた。その結果、今、私たち日本人はお互いどうしが繁栄を享受できる国を失おうとしている。私にはそれがとても悲しい。

注)愛国心は愛政府心では有りません。詳しくはFAIRNESSさんのコラムをどうぞ。

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小沢氏の辞退:ひょっとして深〜い理由が?

小沢氏が発表した自身の年金未納期間について、穿って考えてみる。

任意加入の頃にまで遡って未加入であったことを理由としている点が腑に落ちない。
任意であった過去に遡るというのであれば、その当時、「任意」であった意味はどうなるかという疑問と、法律を適用する際の禁止事項である「遡及処罰」に相当するのではないのかという疑念が残る。小沢氏の場合、任意加入であった80年4月から86年3月まで間、未加入であっただけであり、強制加入となった86年4月から抜けなく支払っている。

小泉総理側は任意加入期間であったために不問であるという説明を行なっている一方で、小沢氏が責任を敢えて認めることで問題視化させようとしていると考えることができる。そう考えると、評論家諸子の指摘するように、小泉総理の責任の追求を目的としていると言える。

しかし、さらに考えるに、敢えて暫定代表となった参議院選での敗北を回避して、9月の代表戦に焦点を絞ったとも考えることはできないだろうか。

そう考える根拠は幾つか有る。

・世論の関心を引きつけることができない。

代表に就任することがおおよそ判明した直後に、内閣から北朝鮮での首脳会議が報じられて、マスコミは北朝鮮一色となってしまった。恐らく、マスコミを通して関心を引きつけて、参議院選挙に向けた与党攻撃を狙っていたと思われるが、関心すら引きつけることが出来ていない。

・内閣支持率の回復が予想される。
北朝鮮での首脳会議で何らかしらの成果が挙がることが明白であり、国民の内閣支持率が再び高水準になると予想される。

・未加入未納より法案の白紙撤回への世論の変質
次々明るみに出る未納議員、未納報道関係者の報道を聞くにつれ、世論はそれらの報道に辟易し始めており、未納云々の責任より年金改正法案の白紙撤回を求めつつあることを感じ取り、小泉総理大臣と同様の未加入未払いを口実にして、自らが辞退することで揺さぶりを掛けても大きな致命傷にならないと判断できる。

・三党合意の取り扱い
世論の約65%が反対している年金法案に関する三党合意取り扱いの明確な方針が立っていない。しかし、もし、三党合意を元に公明党との選挙協力を考えていたならば、三党合意を破棄することは協力を得ることができないことを意味し、参議院選挙の結果を大きく変えることになりかねない。

・イラクの自衛隊撤退は参議院選挙の争点にできない。
これを参議院選挙の争点にした場合、民主党としては「撤退推進」の立場を取ることとなるが、これでは、政権を取ったとしても米国の指示を得ることができず、政権を安定しない。

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ジェンキンスさんの意思はどうなるの

ジェンキンスさん、北朝鮮拉致被害者の曽我さんのご主人について、自民党の安倍氏が、傲慢とも、配慮に欠けるとも言える発言を行なっていた。


@nifty:NEWS@nifty 該当記事の引用の始まり
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
元米兵ジェンキンス氏について、
本人の意思にかかわらず来日させるべきだとの認識を示した。
安倍氏は「本人の意思ではなく国と国ではっきり話を決め、
ジェンキンス氏を曽我さんの意思通り
お嬢さん2人とともに連れて来てもらわなければならない」と述べた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
引用の終わり

「意思にかかわらず来日を」....です.か。

うーん、それって....
くれぐれも、北朝鮮から「拉致った」と言われないようにしてください。


さらに、「本人の意思ではなく国と国ではっきり話を決め」るんですと、

うーん、これって、
ジェンキンスさんの個人的人権ってどう考えているんでしょ?
お子さん達は日本国籍を持っておりますが、
ジェンキンスさんは依然として米国籍のはず。

それに、これじゃ筋が通らんでしょ。
我が国が行なうべきは、ジェンキンスさんに絶対に日本への出国を望むと言ってもらえるような環境作りのはずであって、「本人の意思ではなく国と国ではっきり話を決め、ジェンキンス氏を曽我さんの意思通り」につれて帰ってくることを世論に納得してもらうことではないと思う。

とすれば、安倍氏が今すぐに行動しなければならないのは、テレビに出演なんぞしているんではなくて、さっさとアメリカに行って、

ジェンキンスさんを軍法会議にかけないという確約
を取りつけてくることだと思うのだが。


一番大切なのは、ジェンキンスさん&曽我さん家族が一人も欠けることなく日本へまずお越しいただいて、ご家族からこの日本を安住の地として指名してもらえるように環境を整えることだと思う。また、もし万一、米国からジェンキンスさんの引き渡しを要求された場合に備えて、米国に逆らってもジェンキンスさんを守るのか否かを国民一人一人が決意しておくことだと思う。私としては、万一の場合でもジェンキンスさんを守るということが、国民の一致団結した世論となることを望んでいる。


間違っても、米軍の軍法会議の問題をうやむやにした状態で日本にお連れした上で、米国から軍法会議にかけるからと引き渡しを要求されて、すごすごと渡す、などという醜態を晒さないように政府は準備してほしいと願う次第だ。

しかし、なんだかなあ。先のイラク人質の際の政府の発言と言い、今回の安倍氏の発言と言い、ちょっといい気になっているような気がするのだが。


5月17日追記
FAIRNESSさんのコラム、グッドです。「同朋を守る」

5月23日追記
オトーピーさんのコラム、グッドです。ジェンキンスさんを守る覚悟はあるのか

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政治家の給料

FAIRNESSさんのblogを頻繁に拝見している。へぇと感じる点は、感性が鋭いというか、本質をズバッと表現している点だ。このコラムは、彼の「政治家の特権」というコラムに触発されたことが原動力となっている。

コメンテータの辛坊さんをご存知だろうか。blog巡りをしていたところ、とある方の記事で辛坊さんのコラムがあることを知って早速訪れてみたところ、グッドタイミングで政治家の皆さんのお給料の記事が載っていた。

驚くこと勿れ。一人の議員が何と4400万円もの金を手にしている。具体的には、月々の報酬(約140万円x12)+期末手当(ボーナス)で2400万円、文書交通費として月々100万円、更に、奮発してグリーン車にも載れるJR特殊乗車券に航空会社の特殊航空券も付けられている。これはもう、バナナの叩き売りヨロシク、持ってけ泥棒ーと言ったところか。

しかも、これに加えて、所属する会派宛に調査費が支給され、3人分の公設秘書給与が約2000万円が用意されている。これをネコババしていれば、何と約6000万円だ。

この額は、国政に関して議員が独自に調査するための必要経費を見込んでのものと考えるが、実際にこの額を有効に使って、公益と国民の福祉のために法案をどれだけの議員が作成しているだろうか。

さて、皆さんはこの額を適正と考えますか。それとも過剰と考えますか。






私は過剰と考えます。

まず期末手当というのは何ですか、これは。サラリーマンでは有るまいし。一年の内のごく一部が国会会期のはずでしょ。それでいて期末手当とは。。。更に、月137万円もの月給をキョウビどれだけのサラリーマンが受け取っていると思ってるの?

こんな金を受け取っていて、平均的な国民の感覚が判るはずがない!

国民の代弁者たらんという気概の議員がいるならば、自らが行なった国政の為の調査費用以上の報酬について良心的受領拒否をぜひ行なってほしいと思う。

問題点は、自分たち(国会議員)の給与を、自分たち(国会議員)が決めることが出来る点が問題なのだと思う。この点を是正するために、

国会議員の報酬を上げる場合は、衆参選挙時に、議員選出と合わせて国民投票で是非を問うべきである!!

これまで、高度成長時にはお互いが裕福になっていて気も留めていなかったが、不況が深刻化し、且つ社会構造、政治構造の大きな歪みが無視できなくなった現在、国会議員を一種の特権階級化させるような法律や行動を国民として厳しく是正・監視を行なうべきだろう。是正・監視の対象は、自民党の議員であれ、共産党の議員であれ、例外はない。総じて、このような報酬に始まる特権的享受を、当たり前のように受けている議員が対象とされるべきと考える。

ちなみに、内閣総理大臣について、皆さんはご存知ですか。

私は、フォ−ブス紙の外国人記者フルフォード氏著作の「泥棒国家の完成」(ISBN4-334-93332-7)を読むまで知らなかったのですが、

何と!これまでの年間4300万円の報酬を700万円引き上げる法案を今国会(2004年1月19日開始)に提出しているという。

その根拠は大変ユニークを通り越して国民を馬鹿にしたものにしたふざけたものだ。また、本書籍の62ページ、69ページには、天下り公務員の報酬、国家公務員の給与等が載っている。また、本書籍に出てくる数字はおおよそ正しいもののように感じている。日本の政治がどれだけ腐敗してしまっているかと知るために、ぜひ読んでみるべきだろう。ただし、外国人が書いているため、彼らに不都合なこと、例えば広島長崎の原爆等は、もっともらしい口実を用意してあるし、日本の根底に起因するような事項についての論評は日本人からすると奇異に感じる点も存在する。


今、我が国は難問が山積しているが、まず最初に行なうべき事は、議員自身が襟を正して、既得権益である特権的享受を返上し、国民の代弁者だと胸を張って言える環境を作り上げることだと思うし、私を含めた国民一人一人が、このような議員の特権的享受を許したことを自覚し、厳しい監視の目を向けることだと思う。

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自己責任論再び

今更ながらというトピックだが、ようやく考えがまとまった。

巷にあふれる自己責任擁護論の論客が言うように、危険なイラクに行く事は自己責任で行なうべき行為があると思う。

しかし、以下の点で、政府と擁護論者は間違っていると思う。

1)事件解決後、人質となった日本人が帰国してから問いただすべき自己責任を、人質事件が発生した当初から問いただしてしまった点

これによって、人質事件を起こした犯人達や外国に対して、政府に都合が悪いならば自国民すら見捨てるという印象を与えてしまった。また、国内においても、事件解決のために国が1つになるべき段階において、国論を大きく2分するような事態を引き起こしてしまった。

2)政府の政策に従わない場合は、自国民の保護を蔑ろにしてもよい風潮を生み出した点

本来、自己責任がどうであれ、自国民が相手国において拘束された場合は救出するのが当然であるにも関わらず、政策や方針に従わない場合は蔑ろにしても止むなしという風潮を作り上げたように感じる。

3)自己責任論云々を論じるべき場合を間違えている点。

自己責任は、人質になった日本人が、自分たちが人質になった理由として政府の政策もしくは保護が足りなかったと訴えた場合だろうと思う。


一方、人質擁護派にも、非があったと思う。

本来であれば「自己責任云々ではなく、人質事件の解決を第一とせよ」いう署名、誓願を行なうべきだったと思う。それをさておき、一足飛びに自衛隊撤退という署名を募っていたことは筋が通っていないと思う。


人質事件が起きてから今に至るまで、なんかこう喉に刺さった魚の骨のような感じてしまい、しっくりしていなかった。でも、これで骨が外れてすっきりした感じだ。

今、心配しているのは、国民の意識として、現政府の方針や政策に反対する場合は、国民の保護は適用されなくてもよいという風潮が当然と考えるようになることだ。これは、自分は適用されるはずはないという前提に立っているように感じる。

しかし、現政府とて所詮人間が行なっている訳であり、また年金法案の審議を見ても国民の利益よりも自分たちの利益を優先している以上、現政府が常に正しいとは言えず、また常に自国民の利益を考えているとは言えないはずだ。それなのに、「自己責任」という一種の特権を与えてしまってもよいものだろうか。

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そんなことじゃ、いかんざき−「党三役全員が未納」。。。ですか

まさか自分が。。。青天の霹靂といったところなのだろう。

公明党の言う処分って、
党3役ですら「けん責、戒告」というものなのでしょうか。
やはり、処分する側の人間が、処分対象に含まれていると
お手盛りはあるのかな?
当初「未納者いれば処分」と自ら言っていた訳で。。。

でも、これで党支持者は納得するのかな?、背後の某団体も??
ぜひ、党並びに背後の某団体の自浄力に期待したいところです。 (^^)v 頑張れー

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三党合意にみる議員の裏切り

三党合意は、議員による国民への裏切り行為である。これには、色んな意味で、はっきり言って失望した。


まず、自民党と民主党。

本来、法案とは議会で審議して決めるのではなかったのか。それを行なわずに、自民党と民主党の私的合意で法案を決定づけることは、

政治家の談合
ではないのか。談合は、密かに行なわれるものだと思っていたが、報道番組で語っているのを見るにつけ、この重要性を認識していないのか、恥知らずなのか。それとも、自分は特権階級だとでも思っているのか。


次に、民主党。

この合意で民主党が犯した罪は、国民への裏切りだろう。

あれほど委員会で抵抗したのに、なぜ?????

そもそも年金法案は、公明党がどうしても通したかった法案だったと聞く。

として、民主党はなぜすり寄ったかと考えると、
自民党と同様に、公明党の背後の某組織の組織票目当てだったのではないだろうか。つまり、その組織票を自民と民主のそれぞれの候補で山分けするということだ。それなら、岡田が「政権政党を目指すため」と言っていた事や、法案の通った後の民主党の面々のにやけぶりも説明がつく。

今回の合意と茶番劇的採決で、民主党は、国民の利益より党の利益や自分達の特権への利益を優先した事が判る。私は、民主党は国民の味方だったと思っていた。また、無関心層、若者への支持も高かったと思うが、今回の件でそれも凋落したと思う。この合意と採決を見る限り、もはや民主党すら国民の味方ではなくなったことが明白であり、とても悲しい。
小沢氏、藤井氏、そして河村氏等の採決欠席が、せめてもの慰めだった。

茨の道を選ぶとも、民主党は全員で採決を欠席してほしかった。そして「そんな国民無視の法案なんぞ、自分たちが単独与党となった時に、ぶっ潰してやる」ぐらいの気迫は欲しかった。

もはや、この党は国民の利益を代表しておらず、他の政党と同様、私腹を肥やすだけの政党に成り下がった。


そして、マスコミ、とりわけNHK。

アホな審議は延々と生放送するのに、なんでこの国民的議案の採決の模様を生放送しないのか。特にNHK、受信料取っているだろうに。顧客第一で考えないでどうする。まさに、この国は、議員達の都合のいい情報だけをマスコミに流し、世論を誘導していく国家に成り下がろうとしているようだ。昨日から読み始めた「泥棒国家の完成」の主張が胸に突き刺さる。

補足)「泥棒国家の完成」は外国人記者が書いたもので、個人的には6割〜7割正解ぐらいで信じた方がよいだろうと思う。原爆投下などの連合国に分の悪い内容は責任回避している。


さて、そこで参議院選挙。

私は共産党員でも共産党を支持している者ではないが、次の参議院選挙では、きっと共産党に投票するだろう。

その理由は明白。
1)今現在、国民の利益を代表としている党はない。
2)例え、もし、仮に、共産党が参議院で第一党になったとしても致命的ではない。

議案は、まず衆議院で審議が開始され、後に参議院に送られる。もし、法案が参議院で否決されても、衆議院に戻されて再び賛成を取れば成立となる。また、衆・参議院で内閣指名が異なった場合は、衆議院指名が優先される。

3)憲法、第五十九条【法律案の議決、衆議院の優越】第2項
「衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。」

により、法案の成立のために、衆議院において現在よりも厳しい条件を課す事ができる。


さて、私と同じ有権者の皆さん、貴方はどうしますか?
無投票・棄権は得策ではないと思うが。。。。

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愛国心:国を愛するってことは..

堅いタイトルなので、まず全く関係の無いところから行きましょうか。

私は大のマトリックスファンです。

3部作のそれぞれに「おぉ!」という大好きなシーンがあります。第3作では、ネオがトレインステーションで迷子になっている時にプログラムと交わす会話が、「おぉ!」というシーンなんです。

プログラム:この子を愛しているんです。(自分の作ったプログラム(娘)の肩をさすりながら)
ネオ   :プログラムが愛だなんて..
プログラム:愛という言葉ではなくて、その言葉の持つ意味が大切なんですよ。

 (略)

プログラム:貴方は大切なものを持っていますか。そしてその大切なものとの絆を保ち続けるために何をしますか。
ネオ   :どんなことでもする。

このシーン、まさにジーンと来ましたね。
ジーンと来ながら、自分自身で更に考えてみました。

その大切なものが生きている国はどうなるんだろ。
そのものを生きている国があるなら、その国を守るだろう。

つまり、おぉ!これが愛国心ってこと?

そう思うと、一般に人々が言っている愛国心には2通りあると思う。

1)大切な人が住んでいる国を守るという意味での愛国心
2)国民を総動員するための口実のための愛国心

ココログのFAIRNESSさんのコラムの「愛国心と愛政府心」に合わせてみると、
 1番は正真正銘の愛国心
 2番は愛政府心
と言えると思う。

そう考えるならば、我々日本人は右とか左に分かれるのではなく、
真ん中に大きなまとまりを作る事ができるのではないだろうか。

愛国心を毛嫌いしている方々、どーんなもんでしょうか?

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幇助という罪:Winny開発者逮捕について

Winnyというソフトウェアの開発者が逮捕された。逮捕の容疑は、報道によると、著作権違反幇助というもので、著作権保護の対象となっている電子データ(DVDに記録された映画、CDに記録された音楽曲)の違法コピーを幇助したことが容疑だという。

基本的にP2P型を採用しているデータ交換ソフトは、間違った倫理観や違法行為の実行のために著作物の違法コピーという用途に使用される一方、正しい倫理観や遵法精神を持った利用者が使用する場合、安全に個人が所有する著作物や機密情報を相手先に暗号を使って安全に送ることができる。よって、正しい倫理観や遵法精神を持った使用者が使用する場合は犯罪を幇助するものではない。
つまり、

正しい倫理観や遵法精神を持った使用者が使用した場合でも犯罪を幇助するのであれば、逮捕は当然と考えられるが Winny と呼ばれるソフトはそのような性質を持っていない。

この点はどう評価するのだろうか。

また、日本国憲法の第二十一条【集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密】の第2項「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」という条項を確実に保証する手段を国民に用意している点はどのように評価するのか疑問である。

ここで別の例を考えてみる。

1)サバイバルナイフで代表されるナイフ。間違った倫理観や違法行為の実行のために殺人事件や傷害事件を引き起こしても、ナイフの製造者は幇助したとして逮捕されたりはしない。

2)架空請求犯罪に利用されている携帯電話。今日のニュースでも取り上げられていたが、架空請求犯罪において携帯電話を使用されることが大変多く、その一方で通話を補足することが難しいために犯罪を助長しているという。しかも、携帯電話会社が利用者と交わす契約書には、犯罪で使用されたことが判明した場合に強制解約や発信拒否などの事項を、

携帯電話会社が犯罪に使用される可能性を認識しているにも関わらず,

盛り込んでいない。これは犯罪幇助に該当しないのだろうか。


混乱している。誰か、おせーて?

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信仰と宗教:サラーム&シャローム

宗教と信仰は明確に分けて考える必要があると思います。信仰そのものは、彼もしくは彼女の信ずる神の前で素直になるという意味において、その神を問わずに総じて清いものだと思います。しかし、同じ信仰を持つものが集まってできた宗教が、渡部昇一著「ローマ人の知恵」に収録されているリクレティウス「物の本質について」を借りれば、「宗教がけしかけてやらせた悪行が何と大きいことか」の言葉通りに、世界の歴史上の悲劇を数多く引き起きた原因となっていることは事実だと思うのです。それは、我が国においても、神道が国家権力に利用されて強すぎる結びつきを持ったために「神国日本に間違いは無い」といった風潮を作り出し、大東亜戦役を悲劇的な結末に導いてしまったと考えています。

日本人にとって未宗教、無神論が当たり前と考えている方が多いようですが、そう判断するのは尚早かと思います。我が国は未だ先の敗戦の痛手から癒えておらず、つまり、未だに東京裁判の呪縛から目が醒めておらず、その精神的復興をなし得ていないのです。我が国は古来、天皇陛下自らが徳を示し、また実践することで、私たちの祖である国民に徳を樹て、代々それを受け継いできた民族なのです。また、神前において、といっても神棚の前で最初に目にするのは鏡なのですが、人が誰しも持っているであろう善の心、素直な心に神にお見せし、恥じる事のない振る舞いをすることを実践してきました。日本民族は、徳と言うものに最高の価値を置き、それを実践してきました。それは明治維新において日本が西洋と出会った際にどのように表現したよいかと思案したあげく、敢えて「神道」と名付けました。(神宗でも神道教でも神教でもないことにご注目ください)不幸にも、また止むに止まれぬ事情があり、神道は大東亜戦役前、そして戦役中、国をまとめるための旗印とされました。大東亜戦役における太平洋戦争において我が国が負けて以来、この「神道」が現在に到るまでどのような状態になっているかはご存知かと思います。私は、日本人が呪縛から醒めて自分自身の伝統や歴史を再確認する時、「神道」と名付けた、この信仰は再び息づくものと固く信じております。
また、新渡戸稲造氏がキリスト教に共鳴したのは、キリスト教が新渡戸稲造氏にとってそれまで信じていたものよりも優れていたからではなく、それまで信じていた(というよりは生まれてからずっと実践してきた)事の内、博愛という点においてキリスト教が全く一致していたため共鳴したのだと思っております。そういう意味において、どっちの信仰が優れているかという比較は意味をなさず、むしろ、どれだけ自分の隣人を愛することができるかが問題なのだと思います。

サラームと挨拶する者達と、シャロームと挨拶する者達、共に「平和ですか」と挨拶するそれぞれが、その挨拶とはかけ離れた状態になっていることが何に起因しているのか。ちょっと考えてみる必要はないですか?

私は、信仰とは、人に言われて行なうものでも無く、また人を誘って行なうものでも無い。ただ、己が信じる善の心に素直になって、自らを律して、実践することだと思います。人はそんな姿を見て、善しとするならば、同じ行なうを実践するのではないのでしょうか。それ故、私は人を誘って行なうものではないと考えます。

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政治家の外遊>ふざけるんじゃない

はじめはじめさんのblogで「外遊に関しての疑問」という記事を見つけた。

まったく同感だ。
政治家への風当たりが激しい中で「よくもまあ」と思う。

特に、気に入らないのは、海外に行くと国内では言えないような爆弾発言する輩がいることだ。
海外で、さも当たり前のような口調で、国民への事前の説明無しにべらべら喋る政治家は、言ってみれば、国を売っているような行為にも感じる。
ねえ、自民党の皆さん、どう考えているんですか、そこのところ。

こんな私は過激でしょうか。

しかし、自らの疑惑を自己責任で説明しないで、さっさと外遊に行く人間の気も知れない。
そんな人を馬鹿にした行為を国民は決して許しはしない。
投票率低下で払うことになると思うが、それじゃ困るんじゃない、民主党の皆さん。
そう思うなら、さっさと党首変えんかい!!
(ぜひ、河村さんをひとつ。。。。)

と私は言いたい。そんな私は過激でしょうか。

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右の壁あれば、左の壁発見。

「イラクで人質になった方々への敬意表明と激励の緊急アピール」というサイトを見つけた。

うーむ、これは?????
敬意表明とはねぇ。。。
しかも、ここでも5人ひとまとめだなぁ。

5人まとめて「自己責任」で責めるのもどうかと思うが、
5人まとめて「敬意表明」もちょっと無理があるような気がする。

「右の壁、発見」の後、「左の壁、発見」と言ったところか。。。

なんか、もうちょっと一般的な感覚がでてこんかったのかなぁと思う。

ところで、

どーでもいいけど、隣の部屋からいびき声が聞こえる。
ホルンのような、何とも言えない重低音で耳につくのよね、これ。

まっ、お隣さんはどっぷり眠っていて幸せなんだろうから善しとするか。
平和なゴールデンウィークです。

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父さん、ごめんね

男親というものは息子が出来たらキャッチボールするのが夢みたい。
我が父も、小学生、中学生の頃、しきりにキャッチボールに誘ってきた。
でも、その頃は、やっぱ、思春期って奴なのでしょうか、あまり乗り気でなかったのね。

いやいや外に出てキャッチボールしたのは良かったが、
父さんの大切にしていたキャッチャーグラブを塀の片隅に置き忘れてしまった。
気がついて戻ってみたが、そこにグラブはなかった。
父さん、ごめんね。
あの頃はよく解らなかったけど、40歳を迎えた今はよく解る。
グラブを無くした悲しみと、キャッチボールを仲良くできなかった悲しみ。

歳取ったかな????

真新しいグラブを用意して。。。


  ねぇ、キャッチボールしない。父さん。

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モブログ投稿テスト

どきどきの一瞬ですな、これ。

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イラクで人質になった5人のこと

なんだかな〜、世の中、おかしいんじゃないと思う。
内閣総理大臣を初め、各大臣、マスコミ、果ては市井の人々まで。。。

*** 自己責任!! ***

の大合唱。

それっておかしいんじゃない?
自己責任はイラクに行っても日本に住んでいても、生きているという限り一人一人についているはずだ。ちょうど影のように。。。だから、誰もが良心に従って生きている限りは自己責任を追求されることはないと思う。ただ例外として、善悪の判断のつかない未成年は、親が自己責任を肩代わりしているんだろうけど。

では、自己責任を放棄した時って、どんな時なんだろ?
私が思うに、それは良心の呵責に目を背け、人の道に外れたことを行なった時だと思う。

今回のイラクの人質事件で人の道に外れたことを行なったのは誰だ!
当初は自作自演だと吹聴し、形勢が悪くなるや、自己責任にすり替えたのは誰だ!

5人居れば5つの人生がある。彼ら、彼女はそれぞれ自分の思う道を生きてきた。
私はあの5人は共にそれぞれの良心の従って生きていたと信じてる。

2人は、フリージャーナリスト
1人は、「米兵・自衛官人権ホットライン」という組織に所属していた彼
1人は、ボランティア活動家
1人は、フリーライター
全くことなる道を選んだ5人の一緒に論じることができるのだろうか。

まず、フリージャーナリスト。
批判するべき対象ではないでしょ。人質になったから危険な場所に行くなって、そりゃ無理だよ。真実を報道することを目的としているんだし、多くの場合、真実を得ることは危険と隣り合わせだ。彼らには真実を伝えたいという思いがあって、国内に居る私たちは、危険を冒して得てくれた情報で現実を知り、真実を見通して自分の判断が形成する。彼ら2人を初めとするジャーナリストと私たちは協力関係にあると言える。どうして彼らを非難できようか。

次に、ボランティアとして活動していた彼女。
実は、自衛隊が派遣される半年以上前にイラク入りして活動していたんだよね。(自衛隊派遣は2003年末で、彼女のイラク入りは2003年3月)しかも、サマーワ市民のアンケートで自衛隊不用が過半数を取る一方で、彼女のバクダッド入りを多くの子供達が待ち望み、また彼女を待っているイラク人も多くいる。あまりマスコミでは報道されていないが、サマーワの自衛隊は濾過した浄水の配布をフランスのNPOに依頼しているという。聞くところによると、フランスが軍隊を派兵していないからフランスのNPOは活動できるのだそうだ。とすれば、イラクで活動していた日本のNPOの活動を危険に晒したのは、サマーワで支持を得ていない自衛隊を派遣したからだとも言える。

ところで、「米兵・自衛官人権ホットライン」の所属していた彼
「米兵・自衛官人権ホットライン」のサイトを立ち寄ってみると、”「自衛官110番」の経験を引き継ぎ、より発展、充実させたものとして開設”とある。つまり、自殺を考えている人間に、訴える窓口を通して自分の悩みを話す事で自殺を思いとどませるような機関なのだと思う。とすれば、実際の米軍や自衛隊が派遣されている現場を見ることは、米兵、自衛官を心情を察するためには必要だと思う。

最後に、フリーライターと称する少年。
少年である、彼は。18歳で未成年なんだしお酒だって飲めない。彼は劣化ウラン弾に関する絵本を作るためにイラクに赴いたと言う。それはそれで立派な志だと思うが、今イラク入りしなければならないほど時間を争うものだろうか。イラクの混沌した状況で、パソコン1台を持って何を成そうとしたのだろうか。イラクの情勢が落ち着いた時点で赴く事では遅すぎるのだろうか。劣化ウラン弾の被害は数十人の専門家が協力して調査できる代物のように思う。私は彼を責める気にはならないが、彼の両親は親権を持つ者として考えるべき点が多く有ると思う。

さて、これら異なる背景を持つ5人を一括りに論じた政治家とマスコミ、そして日本国民は正しかったのだろうか。
私は、政治家に対しては極めて深い不快感を感じる。彼らの論理は、国のやることには口出しするな、服従しろというもののように感じた。彼らもまた人間であり、判断を間違ることも良心に背く振る舞いを行なう可能性だって持っているに関わらずにだ。彼らの多くは今や特権貴族的な優越感を国民に対して持っているのではなかろうか。次に、マスコミについては、ここまで堕ちたかと感想を持った。フリージャーナリストに関した書いた通り、5人の内2人は危険を認識しつつ、事実を報道するためにイラクに赴いたはずだ。その彼らを非難することは報道の自由を捨てる行為のように思うのだが。。。そんな政府とマスコミのあおりと受けて、「そうだそうだ」とだけ声を揃えた日本国民の行為は、言ってみれば小学生の陰湿なイジメのような行為だと思う。恐らく、自分なりの意見を持って彼らを捉えていた国民は少数だったと思う。

我が国には自衛隊を無理にも派遣しなければならない事情があって、その自衛隊の撤退を叫んでいたとしても、人質となった同じ日本人である5人の命の無事をまず最初に国を挙げて祈ることの出来なかったことは、同じ同胞として恥ずかしいことと思う。
また、私が最も悲しみとすることは、先の敗戦から現在まで日本国民は民族的感情の面でバラバラになってしまっていて、大きな1つのまとまりを再構築できていないことだ。1つの大きなまとまり無しには、憲法を改正しても、経済が立ち直ったとしても、軍備を拡充しても、この国を真に守ることにはならないように思う。

そんな今日は憲法記念日。そろそろ、祝祭日に国旗を掲げる時期が来たのかもしれない。。。

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始めませう

見よう見まねでblogを始めてみた。

・諸々、心に思うことを書き込んでストレス解消!
・試験に出てくる語句を記述することで暗記!

そいでもって、
・試験勉強のための記述力アップ!

を狙っているけど、どうなることやら。。。。

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